2013年5月12日日曜日

経塚山

 きょうづかやま。大阪府和泉市父鬼。同じ名の山は岩手県などにもあるようです。





 鬢櫛(びんぐし)山という名も持っているそうです。北から見るとちょうど歯を下にした櫛のような形をしています。


 鍋谷峠から大久保分岐に向かう途中に山頂につながる道があります。


 道標があります。


 読める範囲で書き起こすと、
葛城修験行所
宿山金剛童子・七大龍王社へ 鉄山 →

  第11番葛城二十八宿経塚へ
← 経塚山(びんぐし山)の経塚へ8分
                     鉄山

 宿山金剛童子がちょっと分からないです。修験道に関係あると思うのですが。


 どこを見渡してもヒノキです。背が高いヒノキなので、日光は結構届いていて割合明るいです。






 程なくして山頂の祠に着きました。「七興寺跡」とあります。この「七」は七大龍王と関係があるのかもしれません。標高825m。
 祠は定期的に手入れされているようです。何もしないのもアレだと思って、一応手を合わせて般若心経を読みました。唯一覚えているお経なので。







 祠を後にしてもう少し林の中を入っていきました。無数のヒノキが立ち並ぶ中を歩いて行きます。ずっと平坦な山の尾根です。鬢櫛の平らな部分。画像で見るときれいに見えます。きれいなのですが実際は音もなく、一人だったこともあって幾分不気味に感じられました。




 2012年の10月初旬に行ったのですが、その少し前に近畿地方は激しい雷を伴う強い暴風雨に見舞われました。おそらくその影響で、まだ緑色したヒノキの葉がたくさん地面に落ちているのだと思います。


 年季の入った空き缶。このほか、ビール瓶が1本落ちていました。ポイ捨ては感心しませんが、変わり映えのない景色が続く中、これらは皮肉にも帰りの道標として役立ちました。


 ところどころにこういったお役所的な人工物もあります。



←飯坂山」(?)と赤いペンキで木に書かれています。ずっと尾根伝いに歩いていて、この矢印はそのルートから外れる方向をさしています。急斜面を下りる格好になるわけです。谷を経て別のピークへと行くルートだと思われます。そのそばの青い「T」の字はここがその分岐だという印でしょうか。帰ってから地図を見ましたが、飯坂山という名を見つけること出来ませんでした。



 しばらく尾根伝いに進み続けましたが突然急なくだりになってしまいました。櫛の端まで来たようです。引き返します。


 再び経塚山の祠です。三角点を発見すべく、祠周辺を探索します。




 例の暴風雨のときの落雷によるものと思われます。大阪の平野部でもかなり雷が落ちました。
 


 結局三角点は見つけられずじまいでした。





 林の入り口から見て、経塚山とは反対方向の景色です。背の低いヒノキがびっしり密集しています。根元に全く光が届いていなくて、昼間なのにそこだけ真っ暗です。あんなところに迷い込んでしまったらすぐに発狂してしまいそうです。






2 件のコメント:

  1. 堺市の自宅から和泉山脈ふところの「葉菜の森」という野菜直売所までのママチャリ通い、2014年から始めて2018年9月までの4年間で往復回数300回を超えます。途中の一部幹線を外して走る農道の峠登り4キロ弱が運動にうってつけです。その間の三方に青垣立てる遠望、緑陰の鳥啼、野焼きの匂いと煙の趣、どれももちろん貴重な要素です。
    唯一不満なのが行く手にずっと見ているこの山の名前のわからないことでした。どれも他とろくに見分けのつかない和泉山脈の峰々の中にあって唯一どこからでもひと目でわかるのが(泉州側から見ての話です)この峰であるに拘らず、またそれだからこそ、ずっと胃にもたれておりました。「地元の人」と言える何人かに尋ねてもみたが、ありがちなように、知る者はいませんでした。
    地図から大体の見当がつかないわけではなかったが確信をもてないのが気持ち悪いのです。仕方なく「台状山」とおざなり無粋な私専用名を用いておりました。
    この名ともお陰様をもちまして今日で縁切りです。貴写真と加えられた一言、それこそがずっと欲しかったものでした。別名鬢櫛山、歯を下にした櫛のような、という記載に思わず手を打って笑いをこぼしました。以上ご連絡とお礼まで。

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  2. 幼い頃からこの山を見て育ち、今は毎日山を見ながら通勤しております。
    残念なことに誰に聞いても名前の分からない山でした(´・ω・`)
    こんな事なら小学校の時ちゃんと勉強しておくんやった…。
    今日このサイトにたどり着き、長年の消化不良が一気に解消しました☆
    ホンマにすっきりです!
    ありがとうございました。

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